密告推奨ページにはおどろきました
FBにも書いたけれど、twitterで話題になっていた、自民党による「政治的中立性についての実態調査」というページはあまりにもひどいのでひとこと書いておきます。
これはひとことで言うと、政党という特定の政治的潮流、しかも権力に直結した政権党による、密告の恐怖による教員支配のしくみです。私は、教育現場ほど特定の政治邸潮流や権力からの独立性を守らなければならないところはないと思います。密告者を通して<政府・自民党 vs 個々の教員>という恐ろしく非対称な対立関係を成立させようという試みは、許すべからざることと考えます。
こういう密告投稿フォームを何のためらいもなく作る人たちの「主権者教育」ってどんなでしょうね。
manpagesがないので入れます
c
のプログラムを書くときに必要なシステム関数のマニュアルページがない。そこで、普通にyum
で入れます。
man-pages.noarch
というのがよいようです。
新環境へのdcl-7のインストール
サーバの更新に伴って作成することになった新環境に電脳ライブラリをインストールする。
パッケージとしてないと言われたのは、gtk2
。そこで、gtk2
, gtk2-devel
をパッケージインストールしてみた。(/usr/local/dcl-7.0.0
に作成。いちおう/usr/local/dcl
にリンク)
特に問題なくインストールされた。
環境変数DCLDIR
を設定し、$DCLDIR/bin
をPATH
に加えた。
netCDFのC++パッケージのバージョン
昔からc++からnetCDFを使ってデータ操作をしている。ところが、c++の使用自体が進化して行くに従って、かつての関数名や利用方法自体が次第に時代に合わなくなった。そのため、netCDFのc++パッケージ自体大きく変化せざるを得なくなり、過去に対する互換性を切り捨てる決断をするに至った。
そのため、私の使っているツールを使うためには、古いc++パッケージを活用する必要がある。具体的には、netcdf-cxx-4.2
というパッケージを使っている。
新しいパッケージは関数名からすべて違うため、プログラムを書き換える必要がある。この新しいパッケージに移行する必要が将来あるかもしれない。ただ、当面問題はないようだ。
ハワイに行ってきます
「里海資本論」を読む
いま、「里海資本論」(井上恭介・NHK「里海」取材班, 角川新書, 2015)を読んでいます。
瀬戸内の海と島々が主な舞台です。人と自然(海や陸地も含めた大地、植物や動物たち、気候や日光などといったものたち)の間の関係は、僕が考え、経験の範囲で知っていると思っていることよりも、もしかするとずっと深く絡み合ったものなのではないか。この絡み合いに分け入ることで、確かにこれは豊かだなと思うような現実が、そこかしこにつくり出されている。と感じさせられる本です。
このような現実の中に踏み込むことを課題としてみたいと感じました。
僕自身は一科学者、大学教員です。その目からこのことについて考えてみました。物質循環と生命の営みに関する科学的認識は、里海の現実を理解するために必要な基盤的知識かもしれません。同時に、この基盤的知識を、里海の現実の中で科学的な形で活写することが可能かどうか。こういう立場から、上記の課題を位置づけたいと思います(授業を少し変えてみたい、ということです)。
地域の気候について描写する原稿を書くような場合も、思った以上に地域の歴史や産業、自然の特質について意識する機会になります。地域を「語る」方法(ナラティブ)の一つなのかもしれません。それを「科学的に行う」とはどういうことか? ここでも同じようなことが課題になっています。
そうしていて思うのは、具体的な事実や歴史、出来事のもつ力です。物理的原理から物事を演繹的に見ようと思う立場から(自分はこの側面を意識する傾向が強い)だけでは現実をやはり効果的に捕まえることができない。ということです。必要な獲得すべき資質は、きっと地誌を書く地理学者のような、あるいは「里海資本論」を書くジャーナリストのような、記録精神かもしれません。
まだ自分は戸口に立ったところだなと感じています。
せめて日々起こる出来事や考えたことを書き留めることから・・ということで、ブログは大切ですね。
あんまり具体的なことを書くとネタバレにもなるし、あえて抽象的に、でも実感を書いてみました。